わかれうた


 何がなんだか分からない。
 それが元親の心底からの心持ちだった。

『やっぱ、あんたとは合わねぇわ』
 朝方までたっぷり交わった末に、政宗がそう言った。
 情事の余韻に酔いながら若木のような体を腕に抱き、髪を撫でたり額に唇を寄せたりを繰り返していたときにである。
 肌を重ねれば重ねるほど、一緒にいればいるほど、元親は政宗を愛しいと思うようになっていた。生意気な態度も、時々見せる思いもよらない教養もすべてひっくるめて独り占めにしたいと思った。
 だから、それを実践していたのだ。
 唖然として言葉の意味がわからないでいた元親を見ながら、政宗は体を起こした。そして、
『夜が明けたら帰る。楽しかったぜ』
と、捨て台詞のように言って立ち上がった。元親の放ったものでまだ濡れる尻を軽く手で拭い、飄として着物を羽織る所作を夢のように見ていたが。そこまでされて、やっと我に返った。
 待てよと呼び止め政宗の肩を掴んだ。しかし簡単にふりほどかれて、政宗はさっさと庭に面した廊下へ出ていってしまった。
 勿論その後を追った。
 まだ東の空が白々するかどうかの刻限だったが、庭には忍がひとりいた。元親の見慣れない装束だった。
 政宗は視線で忍に合図をし、ちらりと視線を寄越した。
『城下に供が追いついてるんだよ』

「何でなんだよっ…!」

 元親は唇を噛んで呟いた。
『そんな顔すんなよ。あんたは別に悪くねぇ』
 政宗は大げさに肩を竦めてから、自分の腰に手を当てた。芝居がかった身振りは、元親と過ごした時にはほとんど見せてはいなかった。異国人のような傾いた仕草だった。
 距離を取られたのだと、元親はやっと悟った。
『俺の勘違いだった、ってだけのことだ。you see?』

「…意味、わかんねぇよ」
 元親は部屋の隅で背を丸めて、そう呟いた。
 部屋の中は廃墟のように荒れ果てていた。障子も衝立も粉々に砕け、柱も半分折れている。床板も大穴だらけで、調度も布団もずたずただ。
 全部、元親がやった。
 素手でやった。
 『So long』と、たぶん別れの言葉を残し、政宗は来たときと同じくらい鮮やかに去っていった。
 それが今朝のことだ。
 元親とて、政宗が嫁に来たと思っていたわけではない。戦乱の世とはいえ、朝廷から位階を与えられた守護職だ。国に帰らなければならないのは当然だ。だが、こんな形で別れるとは思いも寄らなかった。
 しかも突然である。
 つい昨日、いや、数刻前まで腕の中にいたというのにだ。
 元親はぐちゃぐちゃになった調度の中に、文箱があるのに気がついた。中にあった瑠璃玉がこぼれ、自分の側まで転がっていた。
 そっと手にのせた。
 子供の頃、好んで遊んだ女の玩具に似た、だが、ずっと美しい玉は政宗が贈ってくれたものだ。
「……」
 唇を寄せれば、微かに羅国が薫った。
 香道にいう六国五味のうち、甘の香とする羅国。政宗からはよくこの香りがしていたと、今更気がついた。
 元親はのそのそと文を拾い集めた。
 どの文からも、同じ香りが漂った。けしてきつくはないが、いつまでも薫る。時が経っても味わいのあるように焚きしめるには、相当技量がいることだろう。
 腕に文、手のひらに玉。うずくまったところには、《竜の爪》が転がって落ちていた。
「……政宗」
 くぐもった、声にならない声が少し湿っていたとしても、致し方のないことだろう。
 元親は、政宗に一方的に捨てられたのだから。



 ほぼ同刻。
 政宗は元親の城下まで追いついていた白石宗実と共に船の中にいた。
 四国から本州へと渡る船である。白石が手配した海賊衆の船は、行商の商人や戦を求めてあちこち渡る食い詰め兵で一杯だった。
 戦の世である。海を渡るには自前の船を立てるか、大枚払って海賊衆に渡して貰うのが手っ取り早い。
 出陣とは違ってお忍びの旅である。
 政宗は単衣に旅羽織、それに刀を一本だけ腰に帯びるという軽装だ。目立つ眼帯のかわりにさらしを顔に巻き、笠もしっかり支度した。
「おう、白石」
「何でございましょう、若」
「…俺は?」
 船中、どう振る舞えば良いかという問いに、白石は丁寧に頷いた。
「仕官に出られる若君にございます。少なりとはいえ、手勢を引き連れての旅ですからな」
 政宗の戦に必ず付き従う初老の臣は、父の代から伊達に仕えている者だ。自身、一国の城主であるはずが、如才のなさは商人並である。もちろん、武勇にも優れ、単騎で突っ走る政宗の守り役にはぴったりの人選だ。
「若、ねぇ」
 政宗は気怠く繰り返し、船縁に肘を突いた。
 潮に乗った船の足は存外に速く、小さないくつもの小島が見え始めた。
 元親はどうしているだろうかと、ふと、思った。
 明るく豪快な気性は『アニキ』と呼ばれるのに相応しいだろう。腕が立つことも、筆が達者なことも政宗は知っている。海の男だと威張るのが嘘ではないことも知った。重ねる肌が燃えるように熱くなるのも、致した後であちこち撫でて余韻に浸るのが好きなことも身をもって理解した。
 だから、違うと判断できた。
「精々、元気でな。あんたが攻めでもしてこなけりゃ、鬼の国には手は出さねぇよ」
 政宗は笠を少し、持ち上げた。
 四国が遠くなっていく。
 元親は過去になった。
 それだけだ。
「おう、白石」
 政宗は傍らに控えていた忠臣に隻眼をやった。
「都に行くぜ」
 奥に稲妻が光る強い瞳は、戦を企む独眼竜のものだ。都は都。この国を狙う強者達が目指すところだ。諸国の噂も山ほど集まるうえに、魔王・織田信長の居城にも近い。