小田原城内にある者で、政宗の勝利を疑う者はひとりとしていないだろう。伊達軍は政宗の下に一枚岩に結束している。それが伊達の強さだ。
「おかえりなさい、筆頭っ!」
「政宗様、おかえりなさい!」
 城門をくぐるや否や、そこらじゅうから声がかかった。鷹揚に声に応えてやっている姿を脳裏に浮かべながら、その声が段々と近づいてくるのを聞くのは歯痒い喜びである。
 小十郎は微動だにせぬまま、本丸の門の前で主を待った。
 見えた。
 政宗は戦装束で馬上にいた。日差しを受けて、三日月の兜が耀いている。奥州伊達家の惣領に相応しい堂々たる態度だ。ゆっくりと駒を進める姿は、まさしく王者である。
 ぐっと喜びに胸が詰まりそうになったとき、小十郎は政宗に轡を並べている隻眼の大男に気がついた。見間違えようもない眼帯は、長曾我部元親だ。
「おう、小十郎。戻ったぜ。留守番ご苦労」
 馬を下りるなり、政宗が言った。
 小田原を出立する前の諍いなどなかったかのように、いつも通りの政宗だった。
 たったあれくらいのことで拗れるような主従ではないとわかってはいても、嬉しいものではある。
 小十郎は元親を視界から外し、政宗だけを見つめた。大切な主は、ずいぶん機嫌が良いようだった。
「ご無事のご帰還、お待ちしておりました。政宗様」
「今川は徳川が取った。これで当分、東海道の憂いはねぇ。安心しろ」
「は」
 頼もしい言葉に、小十郎の口元にも笑みが浮かぶ。伊達政宗の凛々しさ、精悍さ、そして雄々しさを、小十郎は誰よりも知っている。
「客だ。部屋に案内してやってくれ」
 政宗が顎をしゃくって元親を示した。
「…」
 気に入らない男がそこにいる。
 小十郎は仕方なく、元親を見た。
「よお。世話になるぜぇ」
 元親も機嫌がよさそうだった。つい先だって会ったときよりも、余裕があるように見える。政宗との間に何があったのかなど、考えたくもないと小十郎は思った。
 しかし、奥州双龍は飾りではない。自分が政宗のことをわかるように、政宗もまた、敏感に小十郎の考えを察する。  政宗が面白がるような笑みで、小十郎の耳元に顔を寄せてきた。
 子供時代の名残か、政宗は時々こうして小十郎にだけ話す。
「もう苛めんなよ」
「政宗様がそうおっしゃるのであれば」
 元親に視線をぴたりと付けたまま、小十郎が答えた。耳元、政宗が喉を鳴らすように笑った。
「そうしてやってくれ。俺のsweetだからな」
 途端、瞠目した。
 目の前が真っ白になった。
 政宗の異国語趣味につきあっている以上、sweetの意味を知らないわけがない。
 片倉小十郎景綱、先代の小姓から梵天丸の側役となり、独眼竜の右目のも称される切れ者の軍師が、瞬きひとつできないほどに硬直した。
 しかし、まったく気にしない政宗はもう一度小十郎の肩を叩き、さっさと城へと入っていった。政所へ渡る道すがら、集まってきた家臣に次々に声を掛けていく。
 もう頭の中は政のことで一杯なのだろう。
「鬼庭、港の方はどうなった? 原田、成実、奥州への街道は? 山賊が出てたって言ってたやつだ。ああ、町場の柵が荒れてた。要だろ、あれの手配はどうなってんだ? 練兵は小十郎か。法度の起案はどうした。触れを出す支度は?」
 小十郎は瞬きもできないまま、政宗の声を遠くに聞くのが精一杯だった。
「忙しい野郎だなぁ」
 楽しそうに笑いながら元親が言った。
 いつの間にか小十郎のすぐ傍らに立ち、去っていく政宗の背を眺めている。その視線の柔らかさに吐き気がした。
「…」
 どうしたものかと口を開きかけたとき、どたどたと大きな足音をさせて政宗が戻ってきた。どこかで脱ぎ散らしたのだろう。兜がなくなっていた。
「言い忘れたぜ、元親」
「おう」
「お前の歓迎の宴は明日だ。今日はゆっくり旨いものを食わせてやる。腹、すかせて待ってな?」
「そりゃ楽しみだぜぃ、政宗よぅ」
 元親が相好を崩して言った。
 言うだけ言えば、忙しいとばかりに、政宗はまた政所に走っていった。領地が広がった分、やることはいくらでもある。留守していたなら尚更だ。
「あんたの殿様は、いつも、ああなのかよ?」
 政宗が見えなくなって、元親が小十郎に言った。
「部屋に案内する」
 小十郎は元親を待ちもせず、さっさと歩き出した。

 元親を通したのは、二の丸の一室である。
 政宗の私室も近い。この部屋だと指示された訳ではないが、政宗自身が選んでも、この部屋になるはずだ。
 庭に面して眺めがよく、海からの風も良く通る。小田原攻めでもほどんと無傷だった部屋である。海賊を名乗る四国の鬼には丁度良いだろう。
 心情的には地下牢にでも案内したかったのだが、そこは堪えた。
「いい部屋じゃねえか」
 元親はどっかりと腰を下ろした。得物の炎を吐く槍は、庭先に突き立ててある。
 小十郎は立ったまま元親を見下ろした。
「何か用があれば小姓を呼べ」
「この間は世話になったな。もうちょっとであんたの思惑通りになるとこだった」
「…俺の思惑?」
 小十郎の答えに、海賊の口元に不穏な笑みが浮かんだ。
「俺を、四国に帰したかったんだろ? あんたの大事な政宗様にちょっかい出す悪い虫だもんなぁ」
 満更馬鹿でもないらしいと、小十郎は負けないくらいに不穏当な笑みを口の端に引っかけた。
「さてな」
 用は済んだとばかりに、小十郎は元親に背を向ける。仮にも他国の領主に対する態度でないことは百も承知である。
 小十郎は元親を置いて、さっさと政所へと行った。
 男には決して譲れないものがあるのだ。



 政宗に言われた通り、元親は大人しくしていた。
 すすんでやったことと言えば、書状を三河の自分の家臣宛に出したことくらいである。三日もあれば元親の船で小田原までやってくるだろう。
 あとは世話をしてくれることになった小姓に薦められれ、風呂をつかった。慣れない陸路の疲れか、湯上がりに眠くなったのでぐうぐうと眠て過ごし、気がついたら夜になっていた。
「元親」
 すぱん、と、景気の良い音がして廊下側の障子が開いた。
 寝そべったまま視線をあげれば、政宗が両手で併せて四つの膳を持って立っていた。後ろ、戸惑ったように従う小姓は、酒の盆を提げている。
「飯だ。膳を運ぶのは面倒だからまとめて持ってきたぜ」
 要するに二人分の膳を両手に持って、余った酒の支度だけ小姓に持たせて来たということだ。元親は身軽に起きあがって、膳を一組引き受けた。膾から刺身に焼き魚、汁物まで揃った歴とした膳だ。炊き合わせには鴨肉もある。
「おお、旨そうじゃねえか」
 ひょいひょいと膳を並べて、腰を下ろす。政宗も並んで座った。
「食えねぇものはねえよな。聞きそびれちまったからよ」
「ああ。まあ、食えるもんなら食ってみせる」
「上等じゃねえか」
 笑いながら、酒器を差し出す政宗はさっぱりとした小袖姿だ。軽装になればなるほど若さが目立つのは、本当に若いからだろう。
「奥州の料理人の腕前拝見ってとこだな」
「あん? あんたには天麩羅も食わしてやっただろ」
 言えば、政宗が怪訝な顔をした。
「これ…マジ、あんたが作ったのか?」
 あれだけばたばた政に走っていったくせに、どこにそんな暇があったのか。六爪流というのは、腕が六本生えてくることなのかもしれないと元親は思った。
「味わって食え」
「おうよ」
 ふんぞり返る様まで可愛いと言いたくなったが、やめておくことにした。せっかく上機嫌の独眼竜が、臍を曲げたらつまらない。何しろ、互いに愛しいと確かめ合ったばかりだ。好意を素直に示しているのを、丸ごと楽しんでやろうという算段である。  ではさっそくと、膾に箸を付けようとしたときだ。
「政宗様」
「…あん、どうした小十郎」
 開けっ放しの障子の向こう、廊下に小十郎が現れた。問われて目だけで政宗に頷く。
「おう…元親、もうしばらく大人しくしとけよ」
 政宗の様子に、ぴんと来た。元親も飾りで四国を手にした訳ではない。
「水くせえなぁ。飯の前に一暴れってんなら、つきあうぜぇ?」
 主従の間の空気に、戦いの気配を感じては黙っていられない。元親はついっと立ち上がり、庭に突き立てたままの碇槍を取った。夜空に炎が不吉に揺らめく。
 政宗が楽しそうに笑った。
「OK。なら、一緒に来い」
 小姓に持たせていた愛刀を受け取って腰に差した途端、ぎん、殺気が漲る。さすがは独眼竜だ。
「賊は?」
「忍が、おそらく一匹。相当の手練れです」
「俺を探りに来たってのかぁ? …おもしれぇ。三の丸に誘い込め」
「Yes,sir」
 指示を受けた小十郎はさっさと下がった。元親を徹底的に避ける気なのだろう。剛胆なはずの竜の右目の、思わぬ女々しさがおかしい。
 ついにやりと笑えば、政宗が血気に逸った顔で言った。
「行くぜ、元親」
「おうよ」
 向かったのは、もちろん三の丸である。