◆嵐の素顔(後編)
夜も更けて、さすがに工房の灯も消えた。握り飯片手に図面に手をいれていた元親も、渋々ながら寝所に引き上げることにした。
毎日のことであるから、職人達にもちゃんと休息が取れるようにしてやらないといけない。一時の道楽で、新しい機関(からくり)などできるものではない。その辺り、元親にもよくわかっている。
とはいうものの、好きで夢中になっていることは、なかなか止まらない。
元親は床に寝そべり、書きかけの図面を広げた。枕元、紙燭を十も灯せるのは、四国の主の小さな特権だろう。あれこれと朱筆をいれたり、やることはいくらでもある。
どれくらいそうしていただろうか。元親は遠くで雷が鳴っているのに気がついた。
「…今の時期にか?」
珍しいなとは思ったが、特に気に留めない。
機関を作り上げるほうが大事である。さすがに都からの帰路には間に合わないだろうが、できあがればこれまで以上の大作である。きっと生意気な独眼竜も驚くに違いない。作るのも楽しいが、目を丸くする政宗を見るのも嬉しいに決まっている。わくわくするではないか。
雷はますます近くなってきた。
しかし蔀(しとみ)を叩く雨の気配はない。空鳴りならば落雷も怖い。どこかに落ちれば火事を起こすかもしれない。
さすがに気になり、元親は立ち上がった。自分で蔀を開け、庭に出る。星が見える夜空には、雨雲どころか雲のひとつも見あたらなかった。
不思議に思っていると、激しい稲妻が空を裂いた。いや、地面から雷が走ったように見えた。まるで天を目指す竜のようにである。
続いて悲鳴と、柱か何かが倒れる地響きがした。雷が近づいてくる。まるで、城の中で雷が暴れているかのようだ。
はっと思い至った。
「野郎共、どうしたっ!」
敵襲だと思った。元親は叫びながら、音のするほうに向かって走った。襲ってくるなら毛利元就に違いない。夜討ち朝駆け何でもありの元就だ。雷を操る機関を手に入れたなら、絶対持ち来んでくるはずだ。
「元就が来やがったかっ!」
叫びながら躍り出た本丸で見たのは、だが、青い竜の姿だった。
一瞬目を丸くする。
「政宗、おかえり………って、えええ!?」
はやかったじゃねえかと言おうとして、言葉を飲んだ。三日月の兜に鎧を着込んだ独眼竜は、明らかに暴れている。悲鳴は、元親の家臣達が独眼竜を止めようとして蹴散らされていたものだった。
どうしたものかと立ち止まっていると、政宗の独眼が元親を捉えたようだった。
「…てめぇ、元親ぁぁっ!」
政宗が、まっすぐに突っ込んできた。
「Hell dragon!」
そして元親は、地から上った雷竜の正体を目の当たりにした。以前、小田原で忍に放っていた技だが、前とは比べものにならない威力だ。まっすぐ自分目掛けてくる雷撃を、元親は寸手のところでかわした。
直撃を受けた壁は、見る影もなく崩れてしまった。
何がなんだかさっぱりわからない。
把握できずにいると、政宗が幽鬼のように目の前に立った。左手に緑色の大きなものを持ち、刀は抜いていなかった。全身から雷がぴしぴしと細かく立ち上っているほどに殺気立っている
「…てめえっ……」
地の底を這うような声だった。
何か誤解があるのは、もう間違いない。
「ここに来る間に、襲われたのか?」
落ち着けとは言わなかった。すると、政宗が黙って左手に持っていたものを軽々ぶん投げて寄越した。
緑色の物体は縄で縛り上げられた毛利元就だった。ずいぶんと汚れているが間違いない。息はあるようだった。
「元就か…」
呟きに、政宗がさらに眉をつり上げた。
「どういうことだ」
「俺は何もしてねえよ」
本当に何もしていないのだから、やましいことなどない。元就が勝手に襲ったことまではさすがに責任は持てない。嗾けたとでも思われているのかと、元親は両手を広げて、潔白を身振りで示した。
政宗は睨みつけたまま、今度は右手に持っていたものを投げつけた。随分小さい。容赦ない勢いで飛んでくるものを軽々受け止め、驚いた。
あの瑠璃玉だった。
「なんで、それを、こいつが持ってる」
「…へ?」
「答えろ、元親っ。何で、毛利がこいつを持ってる?」
政宗は顎をあげ、見下ろすようにそう言った。
「くれてやったもんをあんたがどうしようが、俺の知ったこっちゃねえ…。けどな…他のヤツ口説くのに使うたぁどういう了簡だ?」
「つかってねえよ!」
さすがに、飲み込めた。経緯はどうあれ、政宗の怒りは間違いなく自分に向いている。しかも理由はこの瑠璃玉で、どうやら元就に贈ったと思いこんでいるらしい。とんでもない誤解だ。
「てめえ、元就!」
元親は足下の元就の肩をがつんと蹴飛ばした。
少し身じろぎし、元就が薄く目を開ける。ぼろぼろではあったが、いつも通りの能面顔だ。
「お前、ザビーんとこで、これ拾ったんだろうが! 拾ったものなら拾ったって言えよ! 誤解してんだろ!?」
「…愚かな…。問われぬものを何故、わざわざ我が言わねばならぬ」
「そこはちゃんと言っとくとこだ! おまえにやったことになってんじゃねえか」
「我には関わりない」
元就がふいと顔を反らした。拗ねた子供のような仕草だが、かわいげなどどこにもない。見かけは愛らしい少女のような男だが、中身は狐だとよく知っているからだ。
「…あんたらがそんなに仲が良かったとは知らなかったぜ」
やりとりをじっと聞いていた政宗が地獄の鬼も斯くやとばかりに言った。怒りの気配がさらに強くなっている。
「悪かった、ごめんな政宗、誤解だ」
元親は政宗を見つめた。怒りで強ばる顔が痛々しい。
誤解は、受けるよりしたほうが辛い。
「…言い訳くらいは聞いてやる」
尊大な独眼竜が冷たく言った。いつでも六爪抜ける構えである。元親は頷いた。
「ザビーって南蛮野郎に、こいつも、島津も俺も、誑かされちまったことがある。ちょうど、あんたに振られて落ち込んでたころだ。…だよな、サンデー」
もう一度蹴りをいれ、元就に同意を求めた。
「我はサンデーなどではない」
無駄だった。
「……で?」
政宗が顎をしゃくって促した。
「俺も、わけわかんないままザビーに協力してたんだが…ふっと我にかえってよ。逃げ出したときには、もうこいつはなかったんだ。城の中で落としたんだろうよ。あんたを偲んで、ずっと持ち歩いてたからな……」
やっと戻った瑠璃玉を両手で包み、元親は言った。あの心荒んだ日々、この玉だけが政宗との縁だったのだ。
「それでそいつが拾ったってか。…与太じゃねえって証はあんのかよ」
いつの間にか政宗は抜き手の構えをやめて腕組みになっていた。視線は険しいが、少し落ち着いたようだった。怒気がわずかに薄らいでいる。
「証か…。おう、サンデー」
「我は毛利元就」
「おまえ、俺とデキてたのか?」
「気味の悪いことを言うなっ!」
頑ななほど無表情だった元就が、かっと目を見開いた。心持ち、頬に血の気が上っている。
「誤解されるようなことになっちまって、悪かった。失くしたのを黙ってたのも悪かった」
そう言って、元親は潔く頭を下げた。
「…言いたいことはそれだけか」
だが、政宗は冷たいままだった。
「じゃあ、もう一個。俺が正気に返れたのは、三日月見てあんたを思い出したからだ。思い出さなかったら、今頃まだ城でチビザビーでもつくってたろうよ」
政宗をじっと見つめた。隻眼からは表情が読み取れない。心を鎧うのに長けた若い竜が、心底かわいそうに思えた。できれば温めてやりたかったが、許されないなら仕方ない。
元親はこれまでだと観念した。さあ斬れよとばかりに首を傾ける。
「ありがとな」
「…それで全部か?」
「ああ、全部だ」
左右の視線がぶつかった。睨み合うでもなく、互いの目を見合った。と。
不意に政宗が兜を脱ぎ捨てた。ごろんと大きな音がして、三日月の兜が転がった。
「……Too stupid」
「…あ?」
「あんた、馬鹿だ…馬鹿にも程がある」
政宗が漏らしたため息は、疲れ果てた者のそれだった。
人間誰でも、怒りを持続させるのは難しい。多大に精神力を消耗する。いつもの通り、元就が厳島で仕掛けたのだとすると、ざっと半日は怒り続けていたことになる。疲れて当然だ。
胸が詰まった。
「悪い。すまねえ。いやな思いさせて悪かったな」
「港の小屋。橋。城のどっか。あと、松がいくつか。…怪我人はいるかもしれねえが、斬ってねえ」
政宗は元親に背を向けてそう言った。あれほど大きく見えた独眼竜の背が、いつもにまして小さく見える。
元親は政宗の肩にそっと手を伸ばした。
「…もう、失くすなよ」
「おう、誓う」
ぎゅっと抱きしめてやりたいのを堪えて、元親は言った。ここまでのやりとりは、冷静に考えれば、派手な痴話げんかである。さすがに家臣達の前でこれ以上はできない。
「…さてと……おう、元就」
もう一度、足下を蹴りつけて元親は言った。
「自分で帰れよ。船はださねえ」
「帰すな、馬鹿チカっ!」
政宗がぎょっとして怒鳴った。独眼竜が再び殺気を漲らせて、仁王立ちに元就を見下ろす。
「おう、毛利。てめぇで決めろ。俺に下るか、ここで死ぬか」
刀に軽く腕をかけたのは鬼神の如く。まさしく、天下統一に動く男のものである。元就は値踏みするように政宗を見上げた。
しばしの沈黙があった。
元就が何を考えているのかなど、元親にはわからない。確かに腐れ縁ではあるが、友というわけではない間柄だ。
「…所詮、我も捨て駒よ。お前が見事に使いこなせるというなら、下りてやっても良い」
高飛車なら、いい勝負だと傍観者の元親は思った。
「OK.今からてめぇは俺の家臣だ。元親っ」
「お、おう?」
「こいつをあんたに預ける。中国も面倒みろ」
急に振られた話に、元親は今度こそ目を見開いた。独眼竜は有無を言わせない様子だ。九州に加えて中国まで押さえるなど、面倒だと思ったがここは頷く他はない。
「……わ、わかった」
「おう」
やっと、政宗が笑みを浮かべた。
「ああ、くたびれたぜ。あとは明日な」
放り投げた兜を拾い、政宗はすたすたと歩き出した。向かっていくのは元親の寝所のほうだ。何日も滞在していた城であるから、造りくらい頭に入っているのだろう。
元親はあれやこれやと家臣達に指示を出し、大あわてで政宗の後を追った。
元親の寝所の手前、政宗は井戸で体を清めた。
下帯一つになって水を被り、汗と返り血を洗い流した。四国とはいえ、もう冬だ。水をかぶれば寒いに決まっている。
だが、今の政宗は水を少しも冷たいとは感じなかった。
戦装束は放りっぱなしに、元々来ていた単衣だけを身につけた。流されなかった着替えは家臣ごと、船に置いてきたままだ。他に着るものはない。
大暴れした後であるから、元親の家臣たちも政宗に近づけないだろう。
煌々と紙燭の灯った元親の部屋の真ん中、政宗はひっくり返った。手足を投げ出せば、深いため息が出た。
心底疲れ果てていた。奥州平定からずっと、戦はいくつもやってきた独眼竜ではあるが、これほど精根尽きたことはなかった。
たった一つの瑠璃玉ごときで取り乱した自分が恥ずかしい。二股を掛けられたかと思っただけで、頭が沸騰したのが居たたまれない。
己の馬鹿さ加減に吐きそうになる。
ぐるぐると煩悶して気持ちが悪くなってきた。
「…おう…風邪、ひくぜ…? せめて床に横んなれよ」
戻ってきた元親が、傍らに膝をついてそう言った。濡れた髪を撫でた手が、頬に添えられる。その温かさに、井戸の水はやはり冷たかったのだと頭が理解した。
「くたびれたろ。悪かったなぁ…」
「…元親」
「ん?」
「悪かった。…疑った」
「いいんだよ。こういうのは、誤解した方がつらいんだ」
抱き起こされるまま、政宗は元親の胸にもたれた。やはり温かい。その心地の良さに、またため息が出た。
「…明日の朝一で仕立職人を呼んでくれ」
「仕立? 構わねえが、どうした」
「新調した束帯が沈んだ」
ぎゅっと政宗を抱き直した鬼の目は、大まじめだった。
「作らせる。俺にできることならなんでもする」
「…おう…。頼むわ」
政宗は元親の頭を抱くように腕をまわした。褪せた髪に頬を寄せると、火薬と鋼のにおいがする。潮の匂いは、自分にもついているからわからないのだろう。
「…あんたが心配だぜ…マジで…他の誰かに殺られるくらいなら、俺が殺ってやりてえくらいだ…」
「おっかねえなぁ、おい」
言って、元親が笑うのを、肌の震えるのでも感じる。
政宗は鬼の首筋に鼻をくっつけるようにしてしがみつき、安心している自分に気がついた。西海の鬼が自分の腕の中にいることが嬉しいのだ。
「…あんたが死なない前に、天下を取る」
鬼を名乗るくせに妙に甘いこの男を、失いたくないと思った。死なせるのも、盗られるのも嫌だ。もっとと抱きしめれば、大きな手のひらが背を撫でた。
政宗はまたため息を漏らした。
元親に、伝わったのだろうか。
「頼もしいな、独眼竜は」
優しくいう声が心地よく、政宗はふうっと笑えた。