嗚呼、栄冠は君に輝く(後編)


 政宗は僅かな供回りを連れて、浜松に入った。城には直接は行かず、浜松の外れの寺に宿を取った。広い宿房に落ち着き、気に入りの長めの陣羽織に着替えると慶次が不思議そうに言った。
「何で、城にいかねえの?」
 武田攻めの戦のあとも利家とともに加賀には戻らず、政宗にくっついてきているのだ。戦をするでもなく、ただ政宗の側で酒を飲んだり猿と遊んだりして過ごしている。はっきり言って、無駄飯ぐらいだ。
「あんたこそ。何で俺についてくる」
「俺? よくぞ聞いてくれたっ!」
 慶次は大きな犬が飼い主にじゃれつくように、政宗に詰め寄った。目方も上背も随分大きな慶次である。政宗は板張りの床に押し倒されるように後手を突いた。軽く開いた脚の間に、慶次の膝がしっかり入っているのは世慣れた色男の癖のようなものだろう。
「あんたの恋話だよ!」
「…What?」
「まだ聞いてないの! 俺、全然!」
 政宗は思いきり眉間に皺を寄せた。この馬鹿、何を言っているのだと顔にしっかり出してやったが、そんなことで引くような傾奇者ではない。
「会えない辛さをさ、話して紛らわすってことだって大切じゃん! 何なら、俺が恋文届けてやってもいいよ」
 政宗は大きな目をきらきらと輝かせる男を呆然と見上げた。
「……あんた、他に考えることないのか?」
「ないさ」
 即答が返った。
「天下なんかに惚れたって、いいことなんかないよ。命は短いんだ、独眼竜」
 一瞬、瞳に暗い色がよぎったのを、政宗は見逃さなかった。前田慶次という男の過去にどんなことがあったのかは知らない。興味もない。ただ、誰にでも言いたくない過去のひとつやふたつあるものだということはわかる。
 どうしたものかと思ったときに、廊下から明るい声が掛かった。
「おうおう、こりゃあ、悪いところに来てしまったか」
「あ、家康」
「おぬしらがそういう仲だったとは知らなかったぞ」
 笑いながら、家康が宿房に入ってきた。政宗は慶次を退かし、胡座に座り直した。退かされた方も渋々と、政宗の脇に落ち着いた。出て行く気はやはりなさそうである。
「んなわけあるか。馬鹿の相手をしてやってただけだ」
「ははは。独眼竜は面倒見がいい」
 家康はどっかりと腰を下ろした。今日は忠勝は連れてきていないようである。政宗はにっと笑って、盟友を見た。
「で、いつにする」
「いつでも」
 政宗の隣で、慶次がさっと顔色を変えた。
「早く決着をつけてえ。…二十日後でどうだ。卯月だ。場所はあんたが決めな」
「承知だ。美濃の、関ヶ原でどうじゃ」
「OK」
「…しかしのう、独眼竜。西国はどうなんじゃ。どちらのものとも決しておらんぞ」
「元親は天下取りには興味ねえ。勝った方に従うだろうよ」
「そうか? …まあ、いい。よし、では卯月の三日、関ヶ原でだ」
「…ちょ、ちょっと!」
 慌てた様子で二人の間に手をつき、慶次が叫んだ。
「あんたら何言ってんの?! 戦うっての?」
「おうよ」
「最初からの決めごとじゃからの」
 家康と目を合わせ、だよなと二人で頷き合った。
 列強諸侯が鎬を削る戦の世を終わらせるために、若い世代の君主同士が手を組んだ。いつか、天下を二分にするまでは互いに絶対裏切らない。ただし、その日が来た暁には、雌雄を決すべく戦おう、と。生い立ちも気性も見た目も随分違う家康と政宗ではあったが、不思議と政に対する考え方だけは似ていた。だからこそ、同盟できたと言える。
 政宗に取って、家康は少ない友と言える男だ。恐らく、家康にとってもそうだろう。
「友達なんだろ? 何で戦うんだよ!」
 慶次は驚きを通り越して、ついに怒りだした。二人の間に仁王立ちに立ち上がられれば、大きな図体は邪魔なほどだ。
「やめろよっ! もういいだろっ! 天下取りに残ってんのが友達同士なら、あとは仲良くすりゃあいいじゃねえか! 戦う意味なんかないよっ!」
 目を剥き、慶次は今にも泣きそうな顔をしていた。恐らく、家康と戦うことになった利家の前でも、同じ理屈で喚き散らしたのだろうと政宗は思った。
 慶次らしいことだ。
 だが、軍人(いくさびと)には通じない話だ。
「そうはいかねえんだよ、慶次。戦の世の中が長すぎたんだ。ここで俺達が仲良しこよしってったって、納得しねえ連中が出てくんだよ、必ずな」
 政宗が諭すように言えば、家康が頷いた。
「如何にも、そうじゃ。武をもって制する以上、頭は二ついらんからな」
「和をもってやりゃあいいじゃん! 仲良くしろよ、あんたら、おかしいよっ!」
「おかしいさ。イかれてんのさ!」
 政宗はこみ上げてきた衝動のまま大笑いした。見れば家康も同様で、さも楽しそうに笑っている。
 イかれていることは、二人とも百も承知なのだ。人が殺し合う世の中そのものがおかしいのだ。それを糺そうと思い立ち、他人の命を喰らってきた自分たちが正気なのか違うのか、政宗には正直もうわからない。
「よし、家康。茶はどうだ? 最後に立ててやるよ」
 政宗は慶次を無視して声をかけた。
「おお、いいのう。独眼竜の茶は旨いからのう」
「茶室、借りようぜ」
「おうおう」
 和やかなやりとりは仲の良い友人同士の会話以外の何物でもなく、二人は連れだって立ち上がった。
 慶次はもう何も言わず、哀しい目で政宗と家康を見送っただけだった。
「…おかしいよ…」
 泣き出しそうな湿った声が、背に小さく聞こえた。



 暦はいよいよ卯月になった。関ヶ原は山間とはいえ、陽気もよい。
 政宗が率いた軍勢は奥州、越後、相模を加えて約十二万を数えた。笹尾山と丸山を背にして所狭しと陣を張った様は、さすがに壮観だった。対する家康もほぼ全軍を率いて来ている事は間違いない。徳川十万の軍勢の陣幕が、南側遠くに見えている。
 いよいよ明日だ。明日の大戦で、この戦の世が終わるのだ。
 政宗は本陣に落ち着き、香を焚きしめた。小姓も外に追い払ってある。
 選んだのは白檀である。淡く煙る芳香を味わいながら、静かに筆をとっていた。今まで、どんな戦に臨んでもしなかったことをしておかなくてはならない。
 辞世の支度だ。
 単純に立ちあうのなら、家康は政宗の敵ではない。だが、これは戦だ。ケンカではない。敵将としての家康は、これまで戦ったどんな相手より難敵であると政宗は知っている。
「…やっぱ、月ははずせねえな…」
 きちんと整えられた戦装束に視線をやり、政宗はひとりごちた。
 と。
 外が騒がしいのに気がついた。小十郎が何か、叫んでいるようだ。政宗は筆をおいて立ち上がり、陣幕から顔を出した。
「おう、小十郎、どうした」
「政宗様」
 僅かに髪を乱して走ってきた小十郎が、一瞬言いよどんだ。珍しい反応に、自然、視線が険しくなった。
「家康が動いたのかよ」
「いいえ。…長曾我部元親が軍勢五百を率いて現れました」
「…あん?」
 まるで敵兵が現れたかの言い方であるが、確かに元親の名が出た。
「夜明けには残り二千五百、合流するそうです」
「元親が来てくれたのかよ! どこだ!」
 政宗は言うなり走り出した。「お待ちください、政宗様」と、慌てた叫びなど軽く無視だ。
 並んだ陣幕を抜け、兵達の間を政宗は突っ走った。あれだけ目立つ男だ。どんな人波に紛れてもすぐにわかるはずなのだ。
 実際、そうだった。
「元親っ!」
 短い羽織を風に揺らした、褪せた髪。女の小袖のように派手な袴で大きな碇槍を突き立てた元親の背を、政宗はすぐに見つけた。
「政宗っ!」
 元親が振り返った。大股に駆け寄ってくる。政宗はその体目掛けて、得意技よろしく突っ込んだ。
「どわっ!」
 がつんと鈍い音をさせ、元親は政宗を受け止めた。相当衝撃があったようで、たたら足になったが踏ん張った。
「元親っ…来てくれたか!」
 子供がするように両腕で抱きしめれば、強い腕が背を抱き返してきた。潮の匂いと元親自身の香に包まれるような気がした。
「おう、来たぜ」
 分厚い手のひらで髪を撫でて、元親が言った。
「天下分け目だ。あんたのそばに俺が居なくてどうする」
「おう…」
 髪から頬にうつった手のひらに頬を撫でられ、政宗はうっとりと笑った。そこではっと、我に返る。
 周囲、伊達と長曾我部の兵達が、自分たちの大将を囲むようにじっと見ていた。さすがに恥ずかしい状況だ。
 政宗は不自然にならない程度に慌てて体を離した。
「ゆっくり話がしたいぜ、元親」
「おうよ、俺もだ」
 悪戯を見つけられたときのようににっと笑いあい、二人で急いで政宗の陣幕へ戻った。ばさんと大きな音をさせて潜り込めば、二人きりだ。
「政宗、」
 元親が両腕を伸ばして、政宗を抱き寄せた。その腕に体を寄せて、政宗も元親を抱きしめた。
「……ぁぁ…あんただ…元親…」
 もう春なのだ。まるまる三月ぶりの再会である。嬉しくないはずがない。文を幾度か交わしはしたが、どちらも戦で忙しかった。
 その間に何度も何度も思い出した腕である。
「おう、俺だ。とんできたぜ」
 耳元でする元親の声。
 冬は当たり前のように何度も聞いた声だ。髪や背を撫でられるままに顔を上げ、精悍な鬼を見上げた。
 顎をひき、元親が顔を寄せてきた。唇が合わさる手前、一瞬止まったのは久しぶりだったからだろうか。
 ぶつけるように合わせて、互いの舌を強く絡め合った。そのまま床になだれ込めれば幸せだが、陣中だ。さすがにそれはできない。
 息も、唾液も勿体ない。
 政宗は甘露を味わうように、元親の唇を堪能した。