Life time respect(後編)


 奥州から九州まで、この日の本の全部が、伊達政宗の配下となった。戦で取ったもの、上杉のように併合したもの、そして配下に下ると言った者、経緯はどうあれ、ひとりの天下人を戴くことになったのだ。
 飾りではない、実力を備えた天下人をである。
 元親は四国と九州をまとめて政宗に差し出す形で天下殿に膝を折ることを受け入れた。もとより、政宗の天下取りに不満がある元親ではないのだ。
 何の異存もなかった。
「国を三つに大きく分けて考える」
 政宗が絵図を示してそう言った。
 上座、南面して座した政宗、その右に小十郎、左側には元親が座り、一番南には軽鎧の忠勝と家康が落ち着いている。今後、この国を治めていくための最初の打ち合わせの場である。
 関ヶ原の戦からようやく一月が経ったが、戦のあとの処理やらなにやらで、ここにいる四人が揃って顔を合わせるのは戦場以来のことだ。
 政宗は家康と共に早々に都に入り、小十郎は小田原から奥州に、元親は四国に戻っていた。
 天下がついに決まったということは、国のあり方そのものが変わるということである。島津や毛利にも伝えなければならないし、国許の対応も整えておかなければならないからだ。小十郎が戻ったのも同じ理由である。
 家康の腹の傷はまだ癒えていないが、起きて話をするには十分だ。ただ、歩き回るのだけは避け、忠勝に抱えさせて移動しているだけである。
「白河から北を奥州府、備前から西を鎮西府として、それぞれの国大名を統括する役目を預ける。本州の残りは俺が同じように締めるつもりだ」
 京の都、二条に置いた本陣は今はまだ借りの館に過ぎない。いずれここに城を築くのだという。寂れ気味の右京に築城するのは、元親にもいい案に思えた。かつて足利幕府は東山に拠点を置いていた。それと逆の位置であるから、新しい幕府を構えるには手頃だろう。
「各地には大名小名、それを統括する東西の府、そして中央に幕府があり、天下殿を儂が補佐する」
 家康が口を挟んだ。二人で何度も話し合ったことなのだろう。政宗は頷いて、再び地図を示した。
「そこで、東は小十郎に、西は元親に任せたい。いいか?」
「おう、任せとけ」
「有り難きお言葉です」
 左右から返った応諾に、政宗がにっと笑って頷いた。
「お前らのやることを信じるし、いちいち口はださねえ。ただし、所領に関すること、領主同士の婚姻に関わること、軍事に関すること、年貢の割合に関することは俺の裁可をとってからだ」
 私闘を防ぎ、幕府が全体を纏めるためには当然のことである。足利将軍家は、各地の守護職に力を与えすぎたのだ。同じ轍を踏まないための施策はいずれ法度書としてまとめられることになるだろう。
 元親は生き生きとして語る政宗を眩しく見た。
 戦の世を終わらせることを望み、その通り成し遂げた独眼竜は元親の惚れた相手なのだ。
 たまらないではないか。
 結局、関ヶ原の後もずっと、政宗とは口づけしか交わせていない。
 今日今夜こそはきっと、閨を共にしたいものだと気もそぞろ、小十郎と話す横顔を見ながら元親は考えていた。
「OK、明日は揃って参内だ。派手に行こうぜ?」
「おう、わかっておる」
 家康が笑って答え、その場はお開きとなった。

「元親」
 与えられた自室に戻ろうとしたところで、政宗に呼び止められた。
 勿論、否やの返事のあるはずがない。急拵えとはいえ天下人の館である。相応に警備が敷かれており、奥のここまで断りもなく入れる者はない。
 自然、気持ちも緩む。
 私室へ続く廊下を曲がったところで、元親は堪えきれずに政宗を抱き寄せ、やっと、甘い羅国が政宗から香っているのに気がついた。側にいるだけではわからないほどの、ほのかな香だ。こうしてすり寄るほどに近づいてはじめて感じる香である。
 こんな風に香りを付けるのは、なかなか難しい。
「…ったくよう…」
 元親はたまらず、鼻面を政宗の首筋にぎゅっと押しつけた。甘い香りは、元親のためのものだ。
 待っていてくれたということだ。
「ちか、会いたかった…darling」
 ああと甘いため息に混ぜられた言葉が尻から脳天に突き抜けて、元親はあっさり欲情した。ずっとずっと我慢してきたのだ。甘い囁きに堪えられる訳がない。
 政宗だって同じはずである。
 現に耳に掛かる吐息の熱さは、元親と似たようなものだ。恋して焦がれて、離ればなれが続いていた二人だ。
 だが、これからは違う。
「あんたの束帯姿、楽しみだ」
 政宗の腕が背にまわった。支えるようにして回した腕で、着物越しに腰骨を探る。手つきが愛撫になるのは、もう仕方がないだろう。
 空いた方の手は、互いに指を絡めてぎゅっとつないだ。
「おうよ…。あんまりいい男で、惚れ直すぜ?」
「…あん…? そいつは尚更楽しみだぜ」
 喉を鳴らして笑いながら、うっとりと政宗の顎があがった。天下を語る精悍な姿もいいが、こうして蕩けた顔もいい。
 元親だけの愛しい竜だ。
 骨張った指が髪の根本を撫でてくる。
 ぞくぞくと駆けめぐる悦びが全身を痺れさせるようだった。
 元親は、薄く開いた唇に誘われるままに唇を押し当てた。
 と。
「おう、なんじゃ、こんなところで」
 少し高い位置から家康の声がした。
 揃って声の方を見れば、忠勝に子供のように抱えられた家康がいた。そう言えば、廊下だったのだと、竜と鬼とは顔を見合わせ、
「おう、悪ぃ悪ぃ」
と、笑いながらそれぞれ身をはなした。
「じゃが、丁度良かった。ちょっと借りていいか、天下殿」
「あん? 元親に用か」
 政宗は少し意外そうな顔をしたが、すぐにOKと頷いた。
「ああ、天下殿はあっちじゃ。片倉が探しておったぞ」
 言って、家康が目で背後を示す。
「そうか。じゃあ、ちょっと行ってくるか」
 政宗は元親に一度だけ笑みかけ、慌ただしく戻っていってしまった。
 唇の感触が恋しかったが、仕事とあっては我慢する他にない。まだ夜はこれからなのだ。
 元親は仕方なく、家康に視線を戻した。
「おぬしらのことは聞いておったが、本当に仲がよいのう。あてられるぞ」
 まるで新婚夫婦に対するのと同じような評価だ。そう真正面に言われるのは初めてで、元親はさすがに照れて笑った。
「けどまあ、これからはそうもいかんだろう」
「…あん?」
 笑みがそのまま凍った。
「立場というものがあるからの。天下人ともなれば、なおさらじゃ。…閨のこととて、疵になる。わからぬおぬしではあるまい?」
 家康は顔色ひとつ変えずに淡々と言った。
「疵って…きずかよ、俺のことが…?」
 あまりのことに、声が震えた。
「仕方あるまい。念契は年上が年下を抱くものだろうが、身分の上下はそれより先。天下殿が配下に抱かれるというのは…のう?」
 考えたこともなかったが、言われてみれば確かにそうだ。
 思い返せば初めて政宗に触れたとき、何の迷いもなく抱くほうにまわった。同格の守護職同士、年が上の元親が抱くのが当然だという意識は確かにあった。
 今更だが、政宗に抱かれてやってもいいとは思う。思うが、やはり可愛がるほうがずっと好きだ。
 政宗もやっと閨に慣れてきたのだ。正月の、あの甘い時が蘇り、胸が熱くなった。
「天下殿には世継ぎもいるしのう。あれで一本気な独眼竜だ。ここはひとつ、おぬしから身を引いてやったらどうだ」
 がつん
 戦場でも感じたことのないほどの大きな衝撃だった。まるで正面から顔面を蹴りつけられたかのように、元親はその場にへなへなと座り込んでしまった。
「お…俺は…」
 天下が政宗のものになれば、一緒にいられるものだと元親は思っていた。
 時には西国に戻らなければならないだろうが、京なら今までよりもずっと近い。速い船を飛ばせば二日で来ることができる距離である。
「それとな。天下殿の拠点は小田原になるぞ」
「……は? 小田原…?」
 それこそ寝耳に水だった。
 小田原と四国では、今までと同じだ。奥州よりはましだが、それでも遠い。元親が幼い頃からずっと、将軍は都にいたのだ。当然、政宗もそうするものだと信じていた。
「京には、足利家や信長公の古いしがらみがまとわりついておるからな。新しい世には邪魔じゃあ」
 家康はにっと笑った。
「地の利からして、小田原はいい選択だ。おぬしも今後は鎮西将軍であろうが。天下殿を支えてやれ」
 言いたい放題言うだけ言って、家康は行ってしまった。
 残された元親はひとり部屋に籠もった。
 その夜、政宗は姿を見せなかった。


 翌日。
 都大路に煌びやかな行列があった。二条に構えた本陣から見事な馬具に飾られた白馬に跨ったのは黒の縫腋に身を包んだ伊達政宗である。
 奥州伊達家に生まれた若き竜は、居並ぶ諸侯を飲み込みついに天下に上り詰めた。
 藤原北家としても、鎌倉幕府第九代藤原頼嗣以来約450年ぶりの征夷大将軍である。
 物見高い都の町衆が、こぞって大路に詰めて伏せ、しずしずと通っていく天下人の一行を見守った。
 政宗に続いて、同じく縫腋姿の徳川家康と黒の闕腋の長曾我部元親と片倉小十郎がそれぞれ供回りを連れてつらなった。
 一行が向かう先は御所である。
 そこで正式に昇叙を受けた後、征夷大将軍宣下を賜るのだ。これで天下は晴れて、政宗のものとなる。
 行列の中、元親は暗い瞳で馬上にあった。
 心が揺れていた。
 政宗を抱きしめたい。
 だが、できない。
 天下人の政宗とそれに従う配下となった元親の間には、とてつもない溝ができてしまったのだ。それを無理矢理越えるようなことをすれば、政宗に疵がつく。
 家康の言う通りなのだ。
 元親は政宗のためにならないことは絶対にしたくない。愛しい、恋しい気持ちが相手のためにならないと言うなら、このまま封じて閉じこめる他はないのか。
「…政宗…よう…」
 元親の乱れた心など露知らず。
 凛と背を伸ばし、政宗は予定通りに帝より官位を授かった。
 正三位太政大臣征夷大将軍 伊達藤次郎藤原正宗。
 後の世にいう、伊達幕府の始まりであった。