◆ねこのきもち閑話:ねこの日
ぴんぴろりん、と軽やかに携帯電話のアラームが鳴った。
曲がりなりにも待つ人が出来た元親は、以前のように研究室で寝泊まりすることはなくなった。ちゃんと約束の時間、遅くても夜七時には大学を出ることにしている。
「アニキ、今日はもうあがりですか?」
後輩の院生がモニタから顔を上げて言った。相変わらずむさ苦しい研究室には、今日も機械に埋もれて過ごした連中が数人残っていた。
「おうよ。夕飯は一緒に食う約束だからなあ」
「いいなーアニキー。マサムネ様、料理上手いっすよね」
元親が答えると、心底からうらやましそうにそんなことを言った。どこかの強面のおかげで、元親の後輩達は皆、政宗を様付けで呼ぶ。
「おう。最高だぜ。今日はミートローフがどうとかいってたけどよ、あれって、ハンバーグとどう違うんだあ?」
元親はPCの電源を落として立ち上がった。上着を掴んで、携帯電話もポケットにいれた。バッグ類は持ち歩かないので、財布を尻ポケットに突っ込んだら帰り支度はオールグリーンだ。
「アニキ、俺ら、そんな良さそうもん食ったことねぇっすよ」
「はっは、そいつは悪かったなあ! 明日、感想聞かせてやっからよ」
「えー。ごちそうさまってもんですよ、アニキ」
男同士の気楽な会話に大きく笑い、元親は研究室を後にした。
「あん? 今日は22んちか?」
ふっと思い出し、元親は立ち止まった。毎月22日は愛読している雑誌の発売日なのだ。
大学から自宅マンションまで随分近くなった。前は坂を下りてはるばる遠かったのだが、今では歩いて10分ほどである。おかげで、できなくなったのが寄り道だ。近すぎて、大学とマンションの間にはコンビニもない。とりあえず、大学生協の売店を覗いてみることにした。閉店は午後8時、まだ少し時間がある。
文字通り、人里離れた環境にあるから、生協には書店部門もちゃんとある。最近はカフェまで出来て、元親が入学したころに比べれば格段にオシャレな雰囲気になっているから侮れない。
ちゃんと、元親の欲しい雑誌もあった。それをさっそくレジに持って行き、ふっとカフェコーナーに目をやった。小さめのショウケースに、彩り鮮やかな小さなものがいくつか売れ残っている。可愛らしいショートケーキ類だ。
「っし。土産にすっかな」
元親はブルーベリーとラズベリーののったタルトとチョコレートケーキも一緒に買って帰ることにした。
「おーう、今帰ったぞー、まさむねー」
玄関をあけて入ると、食欲をそそる何ともいい匂いが立ちこめていた。寒いからなのか、このところ雷獣様のブームはオーブン料理である。
「おうお帰り、元親」
青いエプロン姿の政宗が、ひょいと顔を出した。
使っていない部屋の前を抜け、生活空間であるワンルーム、つまり、キッチン・ダイニング・リビング部分に入ると、室内はほどよく温まっていた。
元親は上着を脱いで、買ってきた雑誌と一緒にぽいっとソファの上に放り投げた。それからぎゅっと、政宗を抱きしめる。いつものただいまの挨拶である。
「いい匂いだな、減ってる腹がぐうぐうなるぜ」
「Ha! 安心しろよ、たっぷり作ったからよ…って、それなんだ?」
右手に提げたままの小さな箱に気がついて、腕の中で政宗が言った。
「土産にケーキ買ってきた」
そう言って箱を手渡すと、どこで覚えたのか軽く口笛を鳴らして政宗が笑った。どういう訳か、獣神関係者は甘い物が好きだ。政宗も例外ではない。
「なぁ、元親、ケーキってのは何か祝い事があるときに食うもんじゃねぇのかよ?」
「あん? まあ、そうだなぁ…」
「今日は何の祝いの日だ? 誕生日ってやつか?」
人間社会の習慣に興味津々の雷獣は、子猫同然の好奇心で瞳をきらきらさせている。
政宗は、元親の言うことならほとんど何でも丸呑みに信じる。そして、元親は何でも知っていると信じ込んでいる節がある。
信じる子猫ではない猫を、裏切ることはできない。
妙なサービス精神に、元親は一瞬答えに迷った。
「もとちか?」
「えーっと…今日は…」
「今日は?」
「ね………ねこの日?」
ソファに投げた雑誌は、少し前から買い始めた猫専門誌である。
「ああん…?」
ケーキの箱を持ったまま、政宗が視線を険しくした。やばいと思ったが、もう遅い。
「あんた、晩飯なし」
「え」
「ケーキも俺が食う」
機嫌を損ねてしまった。政宗は、猫の姿になるくせに、猫扱いを嫌うのだ。いや、実際猫でないのはわかっているのだが、つい口が滑ってしまうこともある。
「ま、まさむね、」
「知らねぇ、あんたなんか」
口を結んで、つんとそっぽを向き、政宗が体を離した。慌てて捕まえて抱きしめても、ぷっと拗ねたままである。
「わりいわりい、だからよ、えーっと、今日は人間の風習では猫の日なんだよ」
癖の強い髪の毛しか見えない状態である。元親は宥めながら、髪に唇を押し当てた。ミートローフのだか、ソースのだかわからないが、美味しそうな匂いがしていた。
「けど、ケーキはそれとは関係なくて、お前と食おうと思って買って来ただけだ。ほんとだ。わかんだろ?」
「…」
獣神は、嘘を見抜く。半端な言い訳は無駄なのだ。
しばらく黙っていた政宗は、小さくうんと頷いた。
「…わかった。紛らわしい言い方すんなよな」
「お、おう、悪かったなー」
今の今までふくれていたくせに、ちゅっちゅと耳元にキスをすると、きゃっきゃと楽しそうな笑い声をあげる。それも政宗の可愛いところだ。
「飯にしようぜ。それからケーキな」
すっかり上機嫌に政宗が言った。
もちろん、元親はにんまり笑って頷いた。
おしまい。