◆春ラ!ラ!ラ! 1
珍しいほど冷え込んだ一月の朝、慶次は寝床でぐずぐずとしていた。寝床といっても藁や紙くずを寄せて集めたところに、着の身着のままの格好でありったけの着物と古着をかぶって寝るだけの粗末なものだ。それでも屋根があるところで眠れるだけ有り難いのが風来坊の暮らしである。
生まれも育ちも武家のくせに、前田慶次はそういう毎日を力一杯楽しんでいる。
特にこのところ居着いている小田原のこの酒場はいいねぐらだった。酒もある、食い物もある、寝るところもあれば仲間もいる。小田原にとどまる限りはここにいようと、慶次はこっそり決めている。
「こらー、いつまで寝てるだか!」
ばぁん、と戸を蹴破る勢いでやってきたのはいつきだった。
雪国の働き者は小田原でも働き者である。好意で泊めてくれている店にせめてもの礼をと、賄い方や掃除の手伝いを自分から買って出ては手伝っている。おかげですっかり看板娘のような扱いで、皆に可愛がられていた。もともと愛らしいいつきであるから、無理もない。
「ん、もうちょっと、もうちょっと……」
慶次はもぞもぞと古着をひっぱり、床へと潜り込んだ。
が。
「今何刻だと思ってるだか!」
がつんと頭に降ってきたのは、いつきの足だ。かかと落としに耳のあたりを蹴られては、さすがの慶次も眠っていられるものではない。
「ぇでぇっ!」
と、飛び起きた。
「お城の炊き出し! 一緒に行くって言ったのは、慶次さだべ!」
色白な頬を真っ赤にして怒鳴るいつきをぽかんと見上げ、慶次は大あくびをした。そういえば、そんな約束をしたのだったと思い出す。
「あー、そうだったそうだった。小豆汁だ」
年末年始の七日間、天下人からの祝儀として皆に振る舞われた炊き出しには全部参加した。その最後、少し日をあけた小正月十五日、締めとして小豆汁が出されることになったのだ。
小豆汁は、小豆を甘く炊いた汁物だ。つたの樹液を煮詰めて作る甘葛をたくさん使って作る。日替わりであれこれと出された炊き出しの最後が甘味とは、幕府の酔狂も大した物だと言わざるを得ない。甘いものは大抵高価で、庶民にはそれこそ手が出ない。それを景気よく振る舞おうというのだから、天下人の威光を示すには誰にでもわかりやすい
。
「んだ。小豆汁、もらいにいくべ」
いつきは慶次の目の前に仁王立ちになって、見下ろしている。きっと目元を吊り上げて口元を引き締めた顔は、まるで戦に望む将のような真剣さだ。
「もう、すっごい行列ができてるって、太兵衛さが見てきてくれただ。早く行かなくちゃ、なくなっちまうだよ」
「わかったよ、いつきちゃん。行こうか」
慶次は大きな体を身軽に捌いて、立ち上がった。少し緩んだ髷を手で直し、置きっぱなしにしてあった羽根飾りを差した。抱いて寝ていた超刀と夢吉をもてば、準備万端である。
「いくべ、慶次さ!」
いつきが小屋を飛び出していくのを追って、慶次も外へ出た。
「ぎゃあ」
「どうしただっ!」
「寒い!」
びゅっと吹いた北風にすくみ上がって悲鳴をあげると、雪ん子が大きな目をこぼれそうなほどに丸くした。
「寒いって、寒いだか?」
「寒いよ。こんな日にみんな、列んでるっての?」
町へと出て、冷たい風が突き抜けていく通りを急ぎながら慶次は言った。小走りのいつきは、ちらっと慶次を見上げた。
「こんなもん、寒いにはいらねぇだよ。慶次さ、奥州へ行ったことねぇだか?」
「あるけどさー」
春日山や長谷堂に行ったことはもちろんあるが、雪の季節はできるだけ避けてきたのだ。雪道は歩きにくいし動きにくいし、寒いとひもじいのが余計に堪える。冬の雪国は鬼門だと思っている。だが、その一番奥からやってきたいつきにそう言うのはさすがに憚られて、慶次は決まり悪そうに鼻の下をこすってごまかした。
「で、どこの炊き出し所に行く?」
「決まってるべ」
いつきは小田原城を目指してまっしぐらだ。まさか、炊き出しくらいに天下人のお出ましはあるまいと思うが、それでも少しでも近くに行こうというのだろう。いつきが遠路をわざわざやってきたのは、政宗に会うためだ。もってきた土産は日持ちがするものを選んだといっていたが、さすがに鮮度が落ちてきた。一日でも早く会いたいのが本音だろう。
「何とか、してやりたいんだけどなぁ…」
小走りから本気走りになったいつきの小さな背中を追いながら、慶次は小さく溜息をついた。
小田原城を背中にした炊き出し所は、朝から大賑わいだった。もうそろそろ昼に近い刻限であるというのに、まだ人の波は切れない。十基用意してある特設竈にかかった鍋の中身は、作っても作ってもあっという間になくなっていく。この日のために用意した小豆と甘葛の量は見上げるほどに大量だったが、それも段々となくなってきた。
材料がなくなれば、炊き出しもおしまいである。
「さあ、みなさま、お力をふるいませ!」
ここの仕切りを任されたのは、前田利家の妻、まつである。利家は家康とともに城に詰めているから、今日は別行動だ。まつは戦装束もかくやとばかりの鉢巻き締めだ。朝、まだ暗いうちから働きづめだというのに、疲れをみせる様子もない。
「まつ様、三番鍋が尽きました!」
「すぐに仕込みをなさいませ」
「五番鍋、仕度、相整いましてございます!」
「汲み出しの四番隊、三番鍋から五番鍋へお移りくださいませ」
鍋や列んだ人々の様子を見て回りながらのまつの指示は的確だった。鍋隊は五人編成で竈と同じ十部隊、椀への汲み出し隊は十人編成で八部隊用意してある。他にも椀を回収する隊と、列を整える隊とがあって、一軍に相当する数だ。その采配をふるう有様は、まさしく食材との戦の名に恥じない。
何しろ、天下人からの振る舞い椀である。量もだが、味もちゃんとしていなくてはならない。ここで万一しくじれば、前田の家名にも傷がつく。
まつも必死である。
「さあさあ、みなさま、もう少しですよ」
休む間もなく動き回り、働く皆を励ました。
「本当に、こんなにも多くのひとびとが集まってこられようとは」
はるばる眺め渡すように、行列を見やった。城門前の幔幕から伸びる人の列は最後が見えないくらいである。残りの材料からして、全員に行き渡るのは無理かもしれないとまつは思った。
と、だ。
行列のずっと向こうに、ひよひよと動くものを見た。派手な彩りは気のせいでなければ、よく見知った羽飾りである。
「少し座をはずしますれば」
本陣とも言うべき炊き出し所を出、まつは行列の脇を駆け抜けた。突然走り出した大将に、炊き出し隊も列んでいた町衆も皆が驚いた。
賢才瞬麗の名は飾りではないまつである。足も速い。あっという間に人垣を抜き、抜けないところは跳び越えて、目的の羽飾りまで迫った。
やはり見間違えてはいなかった。
「慶次っ!」
裂帛の気合いで叫ぶと、慶次が大きく仰け反った。
「げ、まつねえちゃん!」
「ねえちゃんではありませぬっ! このようなところで何をしているのです!」
まつは仁王立ちに慶次を睨み付けた。小田原に居着いているものの前田家にはほとんど寄りつかず、町場暮らしをしている慶次のことは、利家も頭を痛めているのだ。乱世であればともかく、こうして世の中が治まったとなれば、早くどこかに仕官しなくては本気で食いっぱぐれる将来が見える。
「…はー…きれいな人だべ…。慶次さのねえちゃんだか?」
慶次の足下、可憐な少女が田舎言葉丸出しで言った。見たことのない顔である。
「まあ。なんと素直な…。慶次、こちらのお嬢さんは?」
「おら、いつき。慶次さには色々世話になってるだ」
色々世話になっている、とは何とも意味深長な言葉である。
まつはさっと顔色を変えて、慶次を見た。
これまでも、あちこちで愚にもつかないような悪さを繰り返してきた慶次の尻ぬぐいは嫌というほどしてきた。一軍を叩きのめした、金蔵を勝手に破った、禁を犯して山で松茸を採った、茶碗を割った、ごぼうを盗んだ、大事な鎧に落書きをした、借りた金を踏み倒したその他諸々。疲れ果てるくらいに謝って来た。だが、こと、女関係についてだけは、問題を起こしてこなかった慶次である。
相手がいないわけではないだろうが、玄人とつきあっているのかどうか、女を泣かせた話だけはなかった。それが、これだ。
薄手の着物の胸など、心持ち程度にしか膨らんでいないではないか。
「慶次、まさか」
口元に手を添えて、まつは慶次を見上げた。きょとんと、猿と一緒に小首をかしげた慶次が、次の瞬間、まつと同じくらいに顔色を変えた。
「ちょ、ちょっと! まつねえちゃん! 誤解すんなって!」
ぎゃあっと叫んだ慶次が、突然いつきの脇の下に手を突っ込んで、抱え上げた。
「な、何するだ、慶次さ!」
「こういう時は、尻をまくって逃げるに限るねっ! またね、まつねえちゃん!」
頭の真上にぶらんといつきをぶら下げて、慶次はすたこら逃げ出した。こうなってはいつもの通り。
「待ちなさい、慶次、慶次ーっ!」
まつが叫んだくらいで掴まるようなら、前田慶次ではない。
「おらの、小豆汁ーっ」
と、悲痛ないつきの声がどんどん遠くなり、慶次といつきの姿は小田原の町へと消えてしまった。
「…なんということ…」
まつは決意を込めた目で空を見上げた。
そんなことがあった日、夜はさらに冷え込んだ。
日課を終えて寝所に落ち着いた政宗は、床に座って酒盆を手元に一人でゆっくり飲んでいた。伏せた杯はもうひとつあるが、飲むべき相手がまだ来ない。
ちらっと視線をあげて次の間へと続く襖を見たとき、まるで頃合いを見計らったかのように小姓の声が告げた。
「鎮西様、お越しにございます」
政宗はひょいと立ち上がり、自分で襖を開けた。と、寝間着に綿の入った長羽織を引きずった元親がにこにこ立っていた。
「待たせてすまねえ、天下殿」
「おうよ。待ちかねたぜ」
政宗は元親を寝所へ招き入れ、さっきまで自分が座っていたあたりに腰をおろさせた。寒がりの鬼のために温めてやっていた格好だ。自分はといえば、座るなり腹に回ってきた腕に促されるまま、胡座に組んだ足の間に腰を落ち着けた。すぐに抱き寄せられ、背中に分厚い胸がくっつくのがわかった。
「あー…あったけえ…」
後ろから髪に鼻面をつっこみ、元親が呟くように言った。政宗は喉を鳴らして笑った。
「今日は冷えてるからな。明日は雪なんじゃねぇか?」
「雪かー…たまんねえなあ」
ぶるっと震えた手に杯を持たせ、酒を注いでやった。元親は政宗を抱きしめたまま、ちゅるっと一息に干した。
「なぁ、ちか。あんたに相談があんだけどよ」
「あん? なんだなんだ? 俺に相談?」
元親があからさまに嬉しそうに目を見開いた。面倒見の良いアニキは、相談事に乗るのも好きなのだ。それも西海の鬼の可愛いところのひとつだ。
「ああ。あんた、前に暴れ足りねぇって言ってたよなぁ?」
「んなこと言ったっけか? あんたが言ってたんなら覚えがあるぜ」
元親は手酌で酒を足して、またきゅっと飲んだ。政宗は本格的にもたれかかり、横顔を見ながら話を続けた。
「あんたもそう言ってたんだよ。小十郎だって、あんな顔してっけど同じはずだ。戦の世の中が長すぎた。何かねぇとすぐに溜まっちまう」
「ああ、まあ、そうだなあ…。けど、政宗。あんたの下で国をひとつにしたとこなんだぜ? 小せえのが残ってるにしたって、どっかと戦をするわけにゃいかねえだろ」
元親は干した杯をくるりと手のひらの上で駒のように回してぱしんと止めて、遠くを見る目でそう言った。
「まさか、イスパニアとでもやり合おうってのか?」
「Ha! そいつもおもしれぇが、んなんじゃねぇよ。Eventをぶちあげてぇんだ」
「威武? なんだそりゃ」
「まあ、祭みたいなもんかな。諸国から腕に覚えのある連中を集めて競わせるんだ。どう思う?」
少しだけ声を低めて、返事を待った。腹に置かれたままの手のひらが、じわじわと動いて撫でまわしはじめている。元親が、こうして政宗を膝に抱いて、あちこち撫でまわすのが大好きなのだと気がついたのは最近のことである。
「ははーん、読めたぜ。そういう祭がありゃあ、俺も、あんたも、右目殿も大暴れできるってことだな。戦じゃなくてもよ」
「そういうことだ。それに、もうひとついいことがある」
何だよ、と言うかわりに杯を置いた元親がこちらを向いた。背中を丸めて首を伸ばして、顔を覗き込んでくる。
「そこに出てきためぼしいヤツを召し抱えてやろうってんだ」
「そいつはくーるじゃねえか、政宗」
にっと唇がつり上がった。
「桜が咲く頃にはやるからよ。まずは触れからだな」
「おうおう。楽しみだ。俺もでるけどよう、まさむね」
「ん?」
「俺が勝っても、褒美はくれんのか?」
政宗を映した海の色が、深く濡れている。それをうっとりと見つめ返して、政宗は背中をぞくりと震わせた。よみがえった感覚は、正月覚えた快楽だ。前後不覚になるほど溺れた情事のそもそもは戦の報奨だった。
「…いつものやつで良かったら、だけどな」
「それが一番の宝ってもんよ」
半分吐息の返事と一緒に、元親の唇が降ってきた。寒い夜に相応しい温かさに目をとじて、政宗は後のことは元親に体ごと預けることにした。